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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)12936号 判決

原告

五十嵐一郎

原告

五十嵐睦子

右両名訴訟代理人弁護士

清水徹

小谷恒雄

被告

国家公務員等共済組合連合会

右代表者理事長

戸塚岩夫

被告

渡辺誠

右両名訴訟代理人弁護士

真鍋薫

被告

稲城市

右代表者市長

山田元

右訴訟代理人弁護士

赤松俊武

主文

一  被告らは原告五十嵐一郎に対し、各自金二〇八八万七八二三円及びこれに対する被告稲城市及び被告渡辺誠は昭和五七年一一月二一日から、被告国家公務員等共済組合連合会は同年一一月二三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは原告五十嵐睦子に対し、各自金一一〇万円及びこれに対する被告稲城市及び被告渡辺誠は昭和五七年一一月二一日から、被告国家公務員等共済組合連合会は同年一一月二三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、原告五十嵐一郎と被告らとの間に生じた分は五分し、その三を原告五十嵐一郎、その余を被告らの、原告五十嵐睦子と被告らとの間に生じた分は一〇分し、その九を原告五十嵐睦子、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は、第一、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告五十嵐一郎(以下「原告一郎」という。)に対し、各自金五五〇〇万円、原告五十嵐睦子(以下「原告睦子」という。)に対し、各自金一一〇〇万円及び右各金員に対する被告稲城市及び被告渡辺誠(以下「被告渡辺」という。)は昭和五七年一一月二一日から、被告国家公務員等共済組合連合会(以下「被告連合会」という。)は、同月二三日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  被告連合会は、国家公務員等共済組合連合会立川病院(以下「立川病院」という。)を開設、経営し、被告稲城市は、稲城市立病院を開設、経営しているものであり、被告渡辺は、昭和五一年ころ立川病院及び稲城市立病院に勤務して診療に従事していた医師である。

2  診療契約の成立

(一) 原告一郎は、昭和五一年一月中旬ころ(以下、昭和五一年中の年月日については年号を省略し、月日のみで記述する。)、食事中に舌の左側縁部を噛み、血豆ができ、腫れと痛みが続いたので、五月一日、稲城市立病院において、院長である会田義徳医師の診察を受け、同病院(被告稲城市)との間に、右疾患の治療を目的とする診療契約を締結した。

(二) 会田医師は、右同日の診察において、原告一郎の舌の左側辺縁部に潰瘍性の隆起があって圧痛があること、左頸部リンパ節に鳩卵大の弾力性のある硬い腫瘤があって少し圧痛があること、右頸部にも同大の腫瘤があることを認めたので、潰瘍部の組織を採取し、立川病院に病理組織検査を依頼したところ、同月一二日粘膜下に異型性の強い細胞の増生が見られる扁半上皮癌であると判定された。

そこで、会田医師は、同月一五日、原告一郎に対し、稲城市立病院の耳鼻咽喉科医師である被告渡辺を紹介し、毎週金曜日には稲城市立病院で、毎週月曜日には立川病院で、被告渡辺の治療を受けるよう指示した。その結果、被告渡辺は、右各病院において原告一郎の主治医として治療を担当することになったものであり、このような場合には、原告一郎と被告渡辺との間においても右治療を目的とする診療契約が締結されたというべきである。

(三) 原告一郎は、同月一七日、立川病院(被告連合会)との間に、右治療を目的とする診療契約を締結した。

3  診療の経過

(一) 初診から八月五日の退院まで(以下「第一段階」という。)

(1)(治療方法の選択)

被告渡辺は、五月一七日、立川病院において原告一郎を診断(初診)し、原告一郎の舌癌は分化型の扁平上皮癌で、病巣は舌左側縁可視部にあり、直径約二センチメートルの腫瘤型で、頸部リンパ節への転移のない初期の新鮮癌であると診断し、その際、原告一郎に対し、「舌を取るのが普通であるが、自分は薬で治す方法を採っている。それでやるがどうか。」という程度の話をし、治療法の種類と選択、薬物療法の長短、特にプレオマイシンについては何らの説明もしなかった。

原告一郎は、治療法についての知識がなかったので、「よろしくお願いします。」と答えたところ、被告渡辺は、原告一郎の舌癌の根治療法として、プレオマイシンの局部注射(以下「局注」という。)による治療法を試みることにした。

(2)(第一回減量手術まで)

被告渡辺は、五月一七日、原告一郎に対し、立川病院において水性プレオマイシン一五ミリグラムの局注を行ったのを最初として、以後、同月二一日(稲城市立病院)、二四日(立川病院)、二八日(稲城市立病院)、六月一日(立川病院)、四日(稲城市立病院)、七日(立川病院)、一一日(稲城市立病院)にそれぞれ水性プレオマイシン一五ミリグラムの局注を行った。この間、原告一郎は、全身倦怠感と舌の疼痛を訴えたが、全身倦怠感はその後減少し、疼痛は増減を繰り返していた。

被告渡辺は、六月一四日、立川病院において、原告一郎の舌患部の壊死巣除去(第一回減量手術)及び舌の上下前後、口腔底の組織を試験切除し、病理検査を依頼したところ、同月一五日、舌後部組織に浸潤性高分子型癌があると判定された。

(3)(第二回減量手術まで)

被告渡辺は、六月二一日、立川病院において、原告一郎に対し、水性プレオマイシン一五ミリグラム局注(累計九回目)を行った。

原告一郎は、同月二八日、被告渡辺の指示により、検査と壊死巣除去のため立川病院に入院し、その際、徴熱、食欲不振、舌腫瘤部の高度な壊死及び疼痛減少、舌左疼痛強度()、左頸リンパ節腫脹、肩こり、舌三×五センチメートル程度潰瘍状腫脹などがあると診断された。

被告渡辺は、右同日、舌壊死巣の除去(第二回減量手術)及び試験切除を行い、病理検査を依頼したところ、舌後方部には明白な癌巣が見られ、他部には扁平上皮の強い増殖があって壊死も見られると判定された。

(4)(第三回減量手術まで)

原告一郎は、七月三日、舌腫瘍部から突然出血し、その量は、洗面器に三分の一程度にも及び、しかも止血しなかったため、稲城市立病院において応急措置を受けた後、立川病院に移送されて入院し、止血の処置を受けた。

その後、原告一郎は、同月五日に油性プレオマイシン(累計一〇回目)、同月八日に水性プレオマイシン(累計一一回目)、同月一二日に油性プレオマイシン(累計一二回目)の各局注を受けた。

被告渡辺は、同月一五日、壊死巣除去(第三回減量手術)及び試験切除を行い、病理検査を依頼したところ、同月二〇日、舌後方に浸潤性でない癌があると判定された。

この間、原告一郎の舌の疼痛が続いていた。

(5)(第四回減量手術まで)

その後、原告一郎は、七月二一日(累計一三回目)、二四日(累計一四回目)、二七日(累計一五回目)にそれぞれ水性プレオマイシンの局注を受けた。

被告渡辺は、同月二九日、壊死巣除去(第四回減量手術)及び試験切除を行い、病理検査を依頼したところ、八月三日、舌の内側、後方、最上方、最後部から採取した組織にはいずれもはっきりした癌は認められず、慢性炎症性変化のみであり、後上方粘膜にびらんがあると判定された。

被告渡辺は、右検査結果に基づき、原告一郎の舌癌は消滅したと判断し、カルテに再発傾向なしと記載した。

なお、原告一郎の舌の疼痛はこの間も続いていた。

(6)(退院)

原告一郎は、八月五日、立川病院を退院し、被告渡辺は、その後プレオマイシンの副作用に関心を移し、経過観察をすることにした。

(二) 癌の消失から再発まで(以下「第二段階」という。)

原告一郎は、退院の後、経過観察のため通院を指示され、以後通院により、被告渡辺の診療を受けたが、その経過は次のとおりである。なお、受診病院は、八月七日、同月二五日、一二月二日は立川病院であり、その他はすべて稲城市立病院である。

(1)(八月の症状及び観察経過)

原告一郎は、八月七日、舌深部に時々疼痛があると訴え、被告渡辺は、舌左奥壊死巣及び乳頭周辺に肉芽様組織が見られ、前方の癈痕は治癒したと診断した。

原告一郎は、同月一三日、全身倦怠を訴え、被告渡辺は、創部に比較的きれいな肉芽が上昇していると診断した。

原告一郎は、同月二〇日、全身倦怠を訴え、被告渡辺は、壊死巣除去後の傷痕が平滑に治癒していると診断した。

原告一郎は、同月二五日、耳部周辺の疼痛及び舌から膿汁が排出したことを訴えたところ、被告渡辺は、口腔底がやや硬いので注意して観察する必要があると診断し、カルテに「要注意か」と記載した。

被告渡辺は、同月二七日、舌表面はやや肉芽状(粒状)だが腫瘍状ではなく、舌及び口腔底が硬く、舌の動きは悪いが、なお当分経過観察をするしかないと診断した。

そして、被告渡辺は、この間、原告一郎に対し、癌治療を目的としない内科的与薬をしたのみであった。

なお、原告一郎は、同月三一日、国立ガンセンターにおいて鷲津医師の診断を受けたところ、同医師は、「左舌縁全体に著明な発赤があり、左縁の溝が展開しない状態である。舌左やや前方に硬結がある。現在明らかな癌の残存は認めないし、頸リンパ節も触れない。」と診断し、カルテに「治療が十分と考え難いので今後フォローアップを厳重に行う必要がある。」と記載し、被告渡辺の治療の欠陥を指摘した。

(2)(九月の症状及び観察経過)

被告渡辺は、九月三日、舌はやや肉芽状であると診断し、同月一〇日、舌及び口腔底が軟らかくなってきたが、左顎下腺がやや腫脹気味であると診断した。

原告一郎は、同月二四日、舌奥に時々疼痛があり、咽頭に異物感があると訴えたところ、被告渡辺は、咽頭左部がやや腫脹気味であり、舌左奥に嚢腫状の腫脹が見られると診断した。

被告渡辺は、同月二七日、左舌腫瘍周辺が硬く触れ、疼痛性であると診断した。

なお、原告一郎の舌の左側縁部が同月初旬からわずかに茶色に変色し、舌を動かす時、時々引っかかる感じがあり、また同月下旬ころから下顎の痛みが始まったが、これらはカルテに記載されておらず、この間の原告一郎に対する処置は内科的与薬のみであった。

原告一郎は、同月二一日、再び国立ガンセンターにおいて鷲津医師の診察を受けたところ、同医師は、「舌全体に浮腫性の腫脹。舌の左縁奥に肉芽。舌の左縁前方に乳頭状の増生。要注意。再発くさい。」との診断をした。

(3)(一〇月の症状及び観察経過)

原告一郎は、一〇月八日、嚥下時の異物感を訴えたところ、原告渡辺は、口腔底に浮腫状のやや硬い腫脹を認め、はっきり腫瘍状とは考えられないが注意を要すると診断した。

原告一郎は、同月一五日、口腔底の疼痛及び嚥下時の違和感を訴えたところ、被告渡辺は、左口腔底前方に硬結があると診断し、同月一九日、口腔底の組織を試験切除し、病理検査を依頼したところ(癌消失後第一回目の検査)、同月二三日、右組織に癌性変化はなく、炎症を伴った舌の肥厚した扁平上皮であると判定された。

被告渡辺は、同月二二日、口腔底試験切除の跡がびらん状であり、周辺に浮腫及び苔が見られると診断し、同月二九日、切除部位はびらん状で上皮化しておらず、慢性炎症があるほか、口腔底に腫脹が見られ、触診では腫瘍状だが瘢痕の可能性もあり確定できないとの診断をした。

この間、原告一郎は、身体の疲労と舌を動かすときの違和感が強くなり、また舌の動作に支障が生じ舌の患部は左縁部に沿って奥の方に拡大を続けて変色し、その表面は腐敗していくので、うがいをしては吐き捨てるという状態であったが、これらはカルテに記載されていない。

(4)(一一月の症状及び観察経過)

原告一郎は、一一月五日、再び疼痛の増強を訴えたところ、被告渡辺は、口腔底に腫脹が見られるが深部は軟らかく、硬い部分の表面の潰瘍は治癒していないと診断し、同月一二日、口腔底に腫脹があり、切除部位は上皮化せず、やや肉芽様、やや易出血性であると診断した。

原告一郎は、同月一九日、舌に時々疼痛があり、つれる感じがすると訴え、被告渡辺は、硬結が舌下方に拡大していることを疑い、同月二六日、舌左前方及び口腔底が硬結様で圧痛があり、線維組織で閉塞された腫瘍の可能性が強いと診断した。

なお、原告一郎は、この間、舌を十分動かせないため時々舌を噛み、食事が苦痛となり、舌は変色し、変質した部分は左縁部に沿って拡大し、舌の根元の方にまで及び、これらの部分は腐敗して溶けそうな感じであった。そして、同月下旬ころ、突然、下顎に激痛が走るようになり、その痛さは、寝ていても身体が反射的に飛び上がるほどであった。また、舌の患部の周辺は広く苔が生えたようになった(これらの症状はカルテに記載されていない。)。

(5)(一二月の症状と観察経過)

被告渡辺は、一二月二日、舌裏面に腫瘤があり、周囲の硬結はやや減少と診断し、試験切除(部位不明)を行い、病理検査を依頼したところ(癌消失後第二回目の検査)、同月六日、浸潤性の扁平上皮癌であると判定された。

被告渡辺は、一二月三日、右切除部位が肉芽腫瘍状であると診断した。

(三) 舌瘤再発見から一二月二〇日まで(以下「第三段階」という。)

(1)(舌癌再発見後の診療経過及び症状)

被告渡辺は、一二月一〇日、舌左前方部及び口腔底について、浸潤又は線維組織に囲まれた腫瘍を疑い、再発癌は後方には浸潤していないと推測した。

しかし、被告渡辺は、それ以上に癌の広がりを検査することなく、右再発舌癌に対する根治療法として、初診時と同様にプレオマイシン局注療法を採用することにし、同月一三日から、プレオマイシンの局注を再開し、鎮痛剤、抗生剤、内科的与薬という以前と同様の治療を行った。その後も、被告渡辺は、同月一六日、二〇日にそれぞれプレオマイシンの局注を行い、同月二〇日には、腫瘍の壊死巣傾向が大であるとして、プレオマイシンの効果を認めた。

なお、原告一郎は、この間、舌が硬くて動かせないため、ほとんど流動食しか摂取することができなくなり、身体が急激に痩せ、舌に棒を差しこんだような異物感がますます強くなり、下顎の激痛に悩まされ、ろれつが回らなくなったため、筆談を始めるようになった。また、舌の左側縁部は全体が腐敗したようになり、常に異臭を発するようになった(これらの症状はカルテに記載されていない。)。

(2)(原告一郎の受診中止)

原告一郎は、一二月二〇日、被告渡辺に対し、「先生、治るんでしょうか。」と聞いたところ、被告渡辺は、「急にそんなことを聞かれても分からないな。」と冷淡かつ無愛想な返事をしただけであった。また、原告睦子が事情を聞くため立川病院に行ったが、看護婦の応対が悪く、被告渡辺には会えなかった。

原告一郎は、舌が腐敗しているのに、右のような対応しかしない被告渡辺に失望し、右同日以降、稲城市立病院及び立川病院において被告渡辺の診療を受けるのをやめた。

(四) その後の治療経過(以下「第四段階」という。)

原告一郎は、一二月二三日ころから、後藤医院及び日本医大で丸山ワクチンによる治療を続けた後、昭和五二年三月一日、国立ガンセンターにおいて受診し、放射線治療を受けた後、同年四月八日、舌口腔底全摘、下顎骨三分の二切除、気管切開、左上頸部郭清、右顎下部郭清、前胸皮弁形成、大腿部遊離位植皮の大手術を受け、これにより生命の危険を回避することができた。

4  被告らの責任

(一) 第一段階における治療法選択上の過失・説明義務違反

(1) 初期の舌癌に対しては、手術及び放射線治療が一〇〇パーセント近い治療効果があり、これが第一適応とされている。これに対し、化学療法は、これのみで完治したと確認された例はなく、プレオマイシンも扁平上皮癌に効果があると宣伝され、昭和三九年ころから昭和四五年ころにかけて舌癌に対して単独薬として試みられたことがあったが、その単独使用だけでは完治しないとの評価が一般的となった。また、プレオマイシンの局注は、患者の苦痛が大きく、治療期間が極めて長期にわたり、しかも完治せずに癌を潜在化させ、再発時には症状がより悪化しているという治療法である。

したがって、被告渡辺は、第一段階において、確立した治療法である手術又は放射線療法を選択すべき注意義務があったというべきであり、プレオマイシン局注療法を選択したことについては過失がある。

(2) また、プレオマイシン局注療法は、未だ有効性の確認されていない未確立の治療法であるから、これを選択する場合には、患者の承諾を得るべきであり、その前提として、医師は右治療法について十分な説明を行うべき注意義務があるというべきである。

しかるに、被告渡辺は、右注意義務を怠り、プレオマイシン局注療法と手術、放射線療法との比較などについて説明をしなかった。

(二) 第二段階における経過観察上の過失

(1) 被告渡辺は、七月二九日に行った病理検査の結果、癌が認められなかったため、癌の再発傾向なしとして、以後は経過観察をすることにしたが、この間(第二段階)、原告一郎の症状を十分に観察し、癌再発の兆候を的確に把握し、再発を疑う兆候が現れたときは直ちに病理検査を行うなどして、速やかに再発癌を発見し、根本治療に移行すべき注意義務があった。そして、舌癌再発の第一の兆候は患部の硬結であり(プレオマイシンを局注した部位はしばらく硬さが残るため、これが軟化した後再び硬化するのが臨床上の再発の兆候となる。)、また、患部表面の乳頭状の変化も舌癌再発の顕著な症状である。

(2) 原告一郎の舌左前方側縁には、既に九月二一日に直径一センチメートルを超える乳頭状の変化が生じ、癌再発の兆候が現れていたが、被告渡辺は、右乳頭状の変化を漫然と看過し、また、被告渡辺は、プレオマイシン治療の直後は硬かった患部が、同月一〇日に軟化し、同月二七日には原発部位周辺に硬結が生じていることを触診によって確認していたにもかかわらず、一〇月一九日まで病理検査を行わず、しかも、同日の病理検査に際して、もっとも癌再発を疑うべき右乳頭状組織付近の試験切除を行わず、口腔底の組織採取しか行わなかったため、患部組織の病理学的所見を正確に把握することができなかった。

被告渡辺は、その後も一二月二日まで病理検査を怠り、同日の検査によってようやく癌の再発を確認した。

以上のように、被告渡辺が乳頭状の変化を看過し、また、適切な病理検査をしなかったことは、前記注意義務に違反したものというべきである。

(三) 第三段階における治療法選択上の過失

(1) 再発癌に対しては、転移の可能性を考え、場合によっては放射線の術前照射を行った後、手術により患部及び周辺の切除を行う必要があり、この段階における最善の治療方法は手術に限定されている。したがって、被告渡辺は、原告一郎の舌癌再発に際し、舌癌の範囲、転移の有無、程度を至急検査し、速やかに根本治療である手術を行うべき注意義務があった。

(2) しかるに、被告渡辺は、一二月三日、原告一郎の舌癌の再発を知った後、既にプレオマイシンの局注は効果がないことが明らかになっていたにもかかわらず、再度プレオマイシンの局注を採用し、手術を行わなかったものであり、被告渡辺には前記注意義務を怠った過失がある。

(四) 第四段階における助言をしなかった過失

原告一郎は、一二月二〇日以降、立川病院及び稲城市立病院における被告渡辺の診療を受けなくなったが、被告渡辺は、それまで主治医として原告一郎の診療に当たっていた者であるから、右のような場合には、原告一郎がその後も適切な治療を続けるよう助言し、舌癌の拡大を防止すべき注意義務があったというべきである。しかるに、被告渡辺は、右注意義務を怠り、原告一郎に対し右のような助言をしなかった。

5  損害

(一) 原告一郎の逸失利益(四一二七万六〇〇〇円)

原告一郎は、被告渡辺の過失による症状悪化により前記のような大手術を受け、身体障害者等級一級の後遺障害を受け、労働能力を一〇〇パーセント喪失した。

原告一郎は、昭和七年一二月一日生(昭和五二年当時四四歳)の男子であり、同年齢の成人男子の全国産業常用労働者平均賃金年収は三〇六万円である。そこで右年収に基づき、就労可能年数を二三年とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、その逸失利益を計算すると、四一二七万六〇〇〇円となる。

(二) 原告一郎の慰謝料(二五〇〇万円)

原告一郎は、本件舌癌の治療により、気管切開、舌口腔底全摘、下顎骨三分の二切除、咽頭全摘、再建術による右上腕筋一部欠損、上下肢採皮の各欠損を生じたほか、言語、咀嚼及び嚥下機能の全廃、唾液、啖の不任意流出などの生活障害を生じ、人間としての生きる喜びの基本的なものを失った。

これらに対する慰謝料は二五〇〇万円が相当である。

(三) 原告睦子の慰謝料(一〇〇〇万円)

原告睦子は、原告一郎が労働能力を喪失したため、やむなく、看護婦として稼働することになったが、バセドー氏病の持病もあり、右勤務による心身の苦労は大きい。また、夫である原告一郎の言語機能喪失により夫婦の対話も困難となり、夫婦生活も不可能な状態となったほか、身体障害者である原告一郎の生活上の介護に追われ、その心身の苦痛は、原告一郎の死にも匹敵するものであり、その慰謝料は一〇〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用(原告一郎六六二万七六〇〇円、原告睦子一〇〇万円)

原告らは、本訴の提起、追行を清水徹弁護士及び小谷恒雄弁護士に委任し、その報酬として認容額の一割を支払うことを約した。

6  よって、原告らは被告ら各自に対し、左記の金員の支払を求める。

(一) 原告一郎

(1) 被告らの診療契約上の債務不履行又は被告渡辺の不法行為並びに被告連合会及び被告稲城市の各使用者責任に基づく損害金七二九〇万三六〇〇円の内金五五〇〇万円

(2) 右金員に対する本件訴状送達の日の翌日である被告渡辺及び被告稲城市については昭和五七年一一月二一日から、被告連合会については同月二三日から、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

(二) 原告睦子

(1) 被告渡辺の不法行為並びに被告連合会及び被告稲城市の各使用者責任に基づく損害金一一〇〇万円

(2) 右金員に対する本件訴状送達の日の翌日である被告渡辺及び被告稲城市については昭和五七年一一月二一日から、被告連合会については同月二三日から、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

二  請求原因に対する認否

1  請求求原因1は認める。

2  同2(一)のうち、原告一郎が舌を噛み、血豆ができたとの事実は不知、その余は認める。

同(二)のうち、原告一郎と被告渡辺との間に診療契約が成立したことは争い、その余は認める。

同(三)は認める。

3  同3(一)(1)のうち、被告渡辺の原告一郎に対する治療方法についての説明内容は否認し、その余は認める。被告渡辺は、原告一郎に対し、プレオマイシン局注と外科手術を比較してプレオマイシンの方が機能障害が少なく、通院治療が可能であると説明し、了解を得た。なお、被告渡辺の選択した治療方法は、正確にはプレオマイシンの局注と減量手術を組み合わせたものである。

同(2)、(3)はいずれも認める。

同(4)のうち、昭和五一年七月三日の出血の程度及びこの間原告一郎の舌の疼痛が続いていたことは否認し、その余は認める。

同(5)のうち、原告一郎の舌の疼痛が続いていたことは否認し、その余は認める。

同(6)は認める。

(二) 同3(二)前書き部分は認める。

同(1)のうち、鷲津医師が被告渡辺の治療の欠陥を指摘したことは否認し、その余は認める。

同(2)のうち、九月二七日に診断した医師が被告渡辺であったこと、カルテに記載されていない原告一郎の症状(舌の変色及び下顎の痛みの自覚症状があったこと)は否認し、その余は認める。

同(3)のうち、カルテに記載されていない原告一郎の症状は否認し、その余は認める。原告一郎は、昭和五一年一〇月中は、断続的な疼痛及び嚥下時の違和感を訴えたのみである。

同(4)のうち、前半の診断内容及び原告一郎の訴えの内容は認め、カルテに記載されていない原告一郎の自覚症状は否認する。

同(5)は認める。なお、一二月二日の試験切除部位は舌と口腔底の境目付近である。

(三) 同3(三)(1)前半の診療経過は認め、カルテに記載されていない原告一郎の自覚症状は否認する。なお、改めて癌の広がりを検査しなかったのは、一二月二日の病理検査の結果、再発部位は浸潤又は線維組織に囲まれた腫瘍の可能性はあるが、口腔底後方に浸潤していないと判断されたからである。

同(2)のうち、被告渡辺の対応は否認し、被告睦子が立川病院に行ったこと、原告一郎が被告渡辺の診療を断念した動機は否認し、その余は認める。被告渡辺は、一二月二〇日、原告一郎に対し、翌昭和五二年には入院のうえ放射線前照射を併用した手術を行う予定であると説明したが、原告一郎は、手術を受けることを拒絶し、被告渡辺の治療を受けることを放棄した。

(四) 同3(四)は不知。

4(一)  同4(一)(1)のうち、被告渡辺がプレオマイシン局注療法を採用したことは認め、その余は否認する。初期舌癌について外科療法及び放射線治療は広く採用されている治療法であるが、舌癌の大きさ、部位、進行の程度によっては、これを採用することができない場合があるほか、機能欠損ないし副作用などの短所もあり、病院、担当医の考え方によって治療方法は異なる。プレオマイシンの局注療法は、一般に広く採用されている治療法ではないが、かなりの医療施設で採用されており、医師が患者の意向も考慮したうえこれを採用することは許される。

同(2)は否認する。被告渡辺は、化学療法と手術、放射線療法の長所を説明し、原告一郎の承諾を得たうえでプレオマイシン局注療法を採用した。

(二)  同(二)(1)は認める。ただし、舌癌の再発は、舌の色、形状、硬さ、脛部リンパ節や全身状態などを考慮して判断するのであり、原告ら主張の兆候のみによって判断するものではない。

同(2)のうち、被告渡辺が舌前方側縁の乳頭状の変化を漫然と看過したこと、九月二七日に舌原発部位に硬結が生じたこと、被告渡辺が必要な検査を怠ったことは否認し、その余は認める。九月二七日に原告一郎を診察したのは他の医師であったため、硬軟の相対的判断が被告渡辺と異なり、カルテのうえでは右同日に硬結を生じたような記載になっているものである。また、頻繁な試験切除は癌再発の可能性を高めたり癌細胞の転移の原因となるので控えるべきであり、被告渡辺の行った試験切除の時期、回数は原告一郎の症状に照らし妥当なものであった。

(三)  同(三)(1)は否認する。

同(2)は否認する。被告渡辺は、一二月二〇日までプレオマイシン局注を行った後、昭和五二年一月から、放射線前照射を併用した外科手術を行うことを予定していたのであり、再発癌に対する処置として適切な対応であった。

(四)  同(四)のうち、被告渡辺が原告一郎に対し、治療を受けなくなった後も助言する義務があったことは争う。

5  同5(一)ないし(四)はいずれも不知。原告一郎に生じた後遺障害による損害は、原告一郎が被告渡辺の治療を受けることを拒否したことによって生じたものであり、被告渡辺の行為との因果関係がない。

三  抗弁(過失相殺)

原告一郎は、一二月二〇日以降、被告渡辺による診療を自ら放棄し、医学的に評価の定まらない丸山ワクチンの投与による治療を継続し、症状を悪化させたのであり、その損害は、原告一郎が自ら招いたものである。

四  抗弁に対する認否

原告一郎が一二月二〇日以降被告渡辺の診療を受けず、丸山ワクチンによる治療を受けたことは認め、その余は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、2(一)、(二)、(四)(舌癌の発症並びに原告一郎と立川病院及び稲城市立病院との間の診療契約の成立)は当事者間に争いがない。

原告一郎は、被告渡辺は原告一郎の主治医であったから同被告との間にも診療契約が成立したと主張するが(請求原因2(二))被告渡辺が立川病院及び稲城市立病院に勤務する医師であったことは当事者間に争いがなく、右事実及び〈証拠〉によれば、被告渡辺は、原告一郎と立川病院及び稲城市立病院との間の診療契約における履行補助者に過ぎない者というべきであり、被告渡辺が原告一郎の主治医であったからといって、原告一郎と被告渡辺との間に診療契約が成立したものと認めることはできず、他に右診療契約の成立を認めるに足りる証拠はない。

二原告は、被告渡辺が第一段階において、手術又は放射線治療を行わず、プレオマイシン局注による治療を行ったことに過失があったと主張するので(請求原因4)、まず、この点について検討する。

1  被告渡辺が五月一七日立川病院において原告一郎を診察(初診)し、原告一郎の舌癌は分化型の扁平上皮癌で、病巣は舌左側縁可視部にあり、直径約二センチメートルの腫瘤型で、頸部リンパ節への転移のない初期の新鮮癌であると診断したこと、被告渡辺は、原告一郎の舌癌の根治療法としてプレオマイシンの局注による治療法を試みることとし、原告一郎はこれを了承したこと、被告渡辺が五月一七日原告一郎に対し、水性プレオマイシン一五ミリグラムの局注を行ったのを最初として、以後、同月二一日(稲城市立病院)、二四日(立川病院)、二八日(稲城市立病院)、六月一日(立川病院)、四日(稲城市立病院)、七日(立川病院)、一一日(稲城市立病院)にそれぞれ水性プレオマイシン一五ミリグラムの局注を行ったこと、この間、原告一郎は、全身倦怠感と舌の疼痛を訴えたが、全身倦怠感はその後減少し、疼痛は増減を繰り返していたこと、被告渡辺が六月一四日立川病院において、原告一郎の舌患部の壊死巣除去(第一回減量手術)及び舌の上下前後、口腔底の組織を試験切除し、病理検査を依頼したところ、同月一五日、舌後部組織に浸潤性高分子型癌があると判定されたこと、被告渡辺が六月二一日立川病院において原告一郎に対し、水性プレオマイシン一五ミリグラム局注(累計九回目)を行ったこと、原告一郎が同月二八日被告渡辺の指示により、検査と壊死巣除去のため立川病院に入院し、その際、微熱、食欲不振、舌腫瘤部の高度な壊死及び疼痛減少、舌左疼痛強度()、左頸リンパ節腫脹、肩こり、舌三×五センチメートル程度潰瘍状腫脹などがあると診断されたこと、被告渡辺が右同日舌壊死巣の除去(第二回減量手術)及び試験切除を行い、病理検査を依頼したところ、舌後方部には明白な癌巣が見られ、他部には扁平上皮の強い増殖があって壊死も見られたこと、原告一郎が七月三日舌腫瘍部から出血し、止血しなかったため、稲城市立病院において応急措置を受けた後、立川病院に移送されて入院し、止血の処理を受けたこと、原告一郎が同月五日に油性プレオマイシン(累計一〇回目)、同月八日に水性プレオマイシン(累計一一回目)、同月一二日に油性プレオマイシン(累計一二回目)の各局注を受けたこと、被告渡辺が同月一五日壊死巣除去(第三回減量手術)及び試験切除を行い、病理検査を依頼したところ、同月二〇日、舌後方に浸潤性でない癌があると判定されたこと、原告一郎が七月二一日(累計一三回目)、二四日(累計一四回目)、二七日(累計一五回目)にそれぞれ水性プレオマイシンの局注を受けたこと、被告渡辺が同月二九日壊死巣除去(第四回減量手術)及び試験切除を行い、病理検査を依頼したところ、八月三日、舌の内側、後方、最上方、最後部から採取した組織にはいずれもはっきりした癌は認められず、慢性炎症性変化のみであり、後上方粘膜にびらんがあると判定されたこと、被告渡辺が右検査結果に基づき、原告一郎の舌癌は消滅したと判断したこと、原告一郎が八月五日立川病院を退院し、被告渡辺は、その後プレオマイシンの副作用に関心を移し、経過観察をすることにしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、被告渡辺が、第一段階において、原告一郎の舌癌に対する根治療法として手術又は放射線治療を行わず、プレオマイシンの局注療法と減量手術を組み合せた治療法を選択したことは明らかである。

2  そこで、第一段階における被告渡辺の治療法の適否について、検討するに、〈証拠〉によれば次の事実を認めることができる。

(一)  舌癌に対する一般的な治療方法は、昭和五一年当時から放射線療法又は外科手術とされており、その趨勢は現在も変わっていないこと

(二)  舌癌に対する化学療法は、癌が局所に限定されていないために放射線治療又は外科手術が困難な進行癌又は再発癌に対し、根治を目的としない姑息的治療として補充的に用いるか、放射線治療又は外科手術前に腫瘍の減量のために使用したり、あるいは放射線治療又は外科手術後の転移、再発防止のために使用するなど、補助的なものとして使用されるに過ぎず、新鮮癌に対する根治目的の治療の第一選択として用いられることはほとんど皆無であったこと

(三)  化学療法の薬剤としては、抗腫瘍性抗生物質であるプレオマイシンがもっとも効果のある薬剤であると期待され、動脈ないし静脈内投与又は筋肉注射として多用されていたこと

(四)  舌癌に対するプレオマイシンの局注は薬理学的には十分効果を期待することができる方法であり、報告された症例数は少ないものの(舌癌は、胃癌、子宮癌などと比べて発生率が低く、症例を収集することが困難である。)、当時多用されていた上顎洞癌に対する局注の応用として、都立養育院病院、千葉大学、名古屋大学などのかなりの施設で散発的ながら実施され、相当程度の成績を上げ、医学教科書にもその方法が記載されていたこと

(五)  被告渡辺は、昭和四五年ころから再発舌癌に対するプレオマイシンの局注を採用していたが、そのころ、病巣が比較的小さく、局所に限定された再発癌に対してプレオマイシン局注が有効であったとの国立ガンセンターの竹田千里医師の論文を読み、病巣の直径が二センチメートル程度の初期舌癌の新鮮例についてでも同様の効果を期待することができるのではないかと考え、頭頸部腫瘍研究会などにおいて右治療法についての討議をした結果、昭和四七年ころから、頭頸部癌の新鮮例についてプレオマイシンの局注療法を始めたこと

(六)  その後、被告渡辺は、原告一郎の治療を担当するまでに頭頸部癌の新鮮例五例(うち舌癌二例)に対してプレオマイシン局注療法を行い、そのうち四例(うち舌癌一例)は腫瘍を消失させることができたこと(なお、舌癌の一例は、副作用のため、他の療法に切り換えた。)

(七)  プレオマイシンの局注と減量手術を併用する方法は、純粋な化学療法ではなく、小手術を重ねるため部分切除に近い方法であること

(八)  プレオマイシンの局注療法は、身体の形態、機能を比較的よく保全しうる点、放射線による被爆の危険を回避することができる点において外科手術及び放射線治療よりも優れていること

(九)  その後も、現在まで、ごく少数ながら新鮮舌癌に対する抗癌剤投与の症例を報告する論文があること

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の認定事実及び〈証拠〉によれば、プレオマイシン局注は新鮮舌癌に対する治療法として確立した治療法とはいえず、その治癒率を明らかにするだけの資料も不足していたことが認められるが、右治療法は、外科手術及び放射線治療と比べて優れている点もあり、かつ、薬理学的には効果を期待することができるものであり、また、仮に所期の効果を得ることができない場合には、直ちに手術などの方法に切り換えることが可能であることが認められるので、新鮮癌に対して直ちに外科的手術及び放射線治療を行わず、プレオマイシン局注による治療法を採用したとしても、これをもって直ちに不適切ないし違法な措置であると断定することはできない。

そして、原告一郎の初期症状は、プレオマイシンの効果が最も期待しうる扁平上皮癌であり、患部の部位も、局注には最適の可視部であったことが認められ、以上の事実を総合して考えると、被告渡辺が、第一段階において、直ちに外科手術及び放射線治療を行わず、プレオマイシン局注療法(減量手術を併用)を採用したことをもって直ちに医師としての注意義務に違反したものということはできない。

3  次に、原告らは、被告渡辺が原告一郎に対する治療方法を決定するに当たり、患者に対する説明義務を怠ったと主張する(請求原因四(一)(2))ので、この点について検討するに、〈証拠〉によれば、被告渡辺は、初診時に原告一郎に対し、治療方法の概要を述べ、外科手術が一般的であるが、機能障害が生じるので、被告渡辺は、機能障害がなく通院治療の可能な化学療法を行っている旨を説明し(ただし、プレオマイシン局注療法が未だ臨床上確立された治療方法でないことまでは説明しなかった。)、右療法により治療することの承諾を求めたところ、原告一郎はこれを了承したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、被告渡辺は、原告一郎に対し、簡単ではあるが手術などの方法もあることを説明したうえ、プレオマイシンの局注療法を行うことについて原告一郎の了解を得たものであり、また、前記のように、新鮮舌癌に対しプレオマイシンの局注療法を試みることをもってあながち不適切な措置であると断定することはできず、その選択は医師の専門的裁量の範囲に属すると考えられることにかんがみると、被告渡辺がプレオマイシン局注より手術の方が一般的に確立された治療法であり、より効果的である旨の説明をしなかったとしても、これをもって原告一郎に対する説明義務に違反したものということはできない。

三次に、原告らは、被告渡辺ら第二段階において、経過観察における注意義務を怠ったと主張するので(請求原因4(二))、この点について、検討する。

1  原告一郎が、退院の後、経過観察のため通院を指示され、以後通院により、被告渡辺の診療を受けたこと、原告一郎が八月七日舌深部に時々疼痛があると訴え、被告渡辺が舌左奥壊死巣及び乳頭周辺に肉芽様組織が見られ、舌前方の瘢痕は治癒したと診断したこと、原告一郎が同月一三日全身倦怠を訴え、被告渡辺が舌、創部に比較的きれいな肉芽が上昇していると診断したこと、原告一郎が同月二〇日全身倦怠を訴え、被告渡辺が壊死巣除去後の傷痕が平滑に治癒していると診断したこと、原告一郎が同月二五日耳部周辺の疼痛及び舌から膿汁が排出したことを訴え、被告渡辺が口腔底がやや硬いので注意して観察する必要があると診断し、カルテに「要注意か」と記載したこと、被告渡辺が同月二七日舌表面はやや肉芽状(粒状)だが腫瘍状ではなく、舌及び口腔底が硬く、舌の動きは悪いが、なお当分経過観察をするしかないと診断したこと、この間、被告渡辺は、癌治療を目的としない内科的与薬をしたのみであったこと、原告一郎が、同月三一日国立ガンセンターにおいて鷲津医師の診察を受けたところ、同医師は、「左舌縁全体に著明な発赤があり、左縁の溝が展開しない状態である。舌左やや前方に硬結がある。現在明らかな癌の残存は認めないし、頸リンパ節も触れない。」と診断したこと、被告渡辺が九月三日舌はやや肉芽状であると診断し、同月一〇日舌及び口腔底が軟らかくなってきたが、左顎下腺がやや腫脹気味であると診断したこと、原告一郎が同月二四日舌奥に時々疼痛があり、咽頭に異物感があると訴え、被告渡辺は、咽頭左部がやや腫脹気味であり、舌左奥に嚢腫状の腫脹が見られると診断したこと、この間における原告一郎に対する処置は内科的与薬のみであったこと、原告一郎が同月二一日再び国立ガンセンターにおいて鷲津医師の診察を受けたところ、同医師は、「舌全体に浮腫性の腫脹。舌の左縁奥に肉芽。舌の左縁前方に乳頭状の増生。要注意。再発くさい。」と診断したこと、原告一郎が一〇月八日嚥下時の異物感を訴え、被告渡辺は、口腔底に浮腫状のやや硬い腫脹を認め、はっきり腫瘍状とは考えられないが注意を要すると診断したこと、原告一郎が同月一五日口腔底の疼痛及び嚥下時の違和感を訴え、被告渡辺は、左口腔底前方に硬結があると診断し、同月一九日、口腔底の組織を試験切除し、病理検査を依頼したところ(癌消失後第一回目の検査)、同月二三日、右組織に癌性変化はなく、炎症を伴った舌の肥厚した扁平上皮であると判定されたこと、被告渡辺が同月二二日口腔底試験切除の跡がびらん状であり、周辺に浮腫及び苔が見られると診断し、同月二九日切除部位はびらん状で上皮化しておらず、慢性炎症があるほか、口腔底に腫脹が見られ、触診では腫瘍状だが瘢痕の可能性もあり確定できないとの診断をしたこと、原告一郎が一一月五日、再び疼痛の増強を訴え、被告渡辺は、口腔底に腫脹がみられるが深部は軟らかく、硬い部分の表面の潰瘍は治癒していないと診断し、同月一二日、口腔底に腫脹があり、切除部位は上皮化せず、やや肉芽様、やや易出血性であると診断したこと、原告一郎が同月一九日舌に時々疼痛があり、つれる感じがすると訴え、被告渡辺は、硬結が舌下方に拡大していることを疑い、同月二六日、舌左前方及び口腔底が硬結様で圧痛があり、線維組織で閉塞された腫瘍の可能性が強いと診断したこと、被告渡辺は、一二月二日、舌裏面に腫瘤があり、周囲の硬結はやや減少と診断し、試験切除(部位不明)を行い、病理検査を依頼したところ(癌消失後第二回目の検査)、同月六日、浸潤性の扁平上皮癌と判定されたこと、被告渡辺が一二月三日、右切除部位が肉芽状腫瘍状であると診断したことはいずれも当事者間に争いがない。

右当事者間に争いがない事実並びに〈証拠〉によると、原告一郎は、八月五日、立川病院を退院した後、被告渡辺の指示により、経過観察のために立川病院及び稲城市立病院に通院したが、その症状の経過は次のとおりであったことが認められる。

(一)  八月中旬ころ、患部壊死巣の減量手術による傷痕(舌左縁部)周辺には肉芽が形成され、創部は治癒が進んでいたが、八月末ころには、舌左縁部全体に著明な発赤があり、創部の溝は展開せず、舌左前方には硬結が残っていた。その間、原告一郎は、舌深部の断続的な疼痛、全身倦怠感を訴えていた。

なお、原告一郎は、同月三一日に国立ガンセンター鷲津医師の診察を受け、同医師は、「明らかな癌の残存は認めないが、治療が十分と考え難いので今後フォローアップを厳重に行う必要がある。」と診断した。

(二)  九月初旬ころ、創部及び口腔底が軟化してきたが、舌左縁部の硬結は残り、同月下旬ころには、舌奥の疼痛、咽頭の異物感を訴えるようになり、舌全体に浮腫状の腫脹、舌左奥に肉芽様組織が認められたほか、舌左前方に乳頭状の組織が増生した。

さらに、一〇月初旬ころには、口腔底に硬結が生じ、被告渡辺は、一〇月一九日、口腔底の舌付け根付近を試験切除し、病理検査を行ったが、右検査の結果、癌性変化は認められなかった。

なお、立川病院及び稲城市立病院のカルテには、前記乳頭状の組織についての記載はないが、〈証拠〉によれば、右組織は少なくとも数週間は残存したものと認められ、被告渡辺は、右症状を見落としていたか、軽視してカルテに記載しなかったものと認められる。

(三)  一〇月ないし一一月にかけて、嚥下時の異物感、舌及び口腔底の疼痛、舌がつるような違和感、下顎の痛みが生じ、口腔底には腫脹が生じ、一一月下旬には舌左前方及び口腔底の硬結が拡大し、また、舌の原発部位付近が変色し、変質(ぶよぶよして、容易に脱落する状態)した。

なお、原告らは、舌の変色及び変質、下顎の痛みは、九月ころから始まったと主張するが、〈証拠〉を総合的に判断すると、右症状は、一〇月ないし一一月にかけて進行したものと認められる。ちなみに、被告渡辺の作成したカルテには右症状の記載はないが、被告渡辺は、一〇月ないし一一月ころから観察の対象を主として口腔底に向けており、カルテには、舌原発部位付近に関する記載自体が少なくなっている。

(四)  被告渡辺は、一二月二日、舌と口腔底の境目付近から試験切除を行い、痛理検査をした結果、同月六日、浸潤性の扁平上皮癌の存在が判明した。

2  ところで、〈証拠〉によると、癌の予後観察の方法は、主として視診及び触診であり、臨床的に癌の再発が疑われるときは、細胞診、生理検査などによって病理学的に癌の存在を確認する方法が採られていること、癌再発の兆候としては、乳頭状の組織の増生、硬結などが考えられるが、化学療法を行った後は、患部及びその周辺に強い炎症反応が生じ、腫脹、硬結が増加した状態が二か月ないし三か月持続するため、臨床的に癌の有無を判断することが難しいこと、患部からの排膿、疼痛はそれだけでは再発を疑うべき兆候とはいえないことが認められる。

そこで、右に認定したところを前提として、癌消失後第一回目の病理検査を施行した一〇月一九日までの経過観察の適否について判断するに、前記認定のとおり、この間における原告一郎の症状は、当初硬結が認められた舌及び口腔底が九月上旬ころ軟化したが、舌左部の硬結は残存し、同月下旬ころには舌左前方に乳頭状の組織が増生し、一〇月上旬ころには口腔底が再び硬化したという経過をたどっており、もっとも顕著な変化は舌前方の乳頭状の組織の増生であったと認められる。しかも、前記のとおり、乳頭状の組織の増生は癌再発の顕著な兆候とされていること、右組織が増生した部位は初発癌が発生した原発部位(舌左側縁部)に接着していること、国立ガンセンターの鷲津医師は、九月二一日の時点で既に右乳頭状の組織に注目し、再発を疑っていたこと、結果的にも、癌の再発が確認されたのは舌の前方部であったことが認められ、右事実に〈証拠〉を総合すると、被告渡辺は、九月下旬ないし一〇月上旬ころには、右乳頭状の組織に十分留意し、病理検査を行うに際しては、右乳頭状の組織のある舌左前方ないし原発部位付近からも試験切除を行うべきであったというべきである。

しかるに、被告渡辺は、右乳頭状の組織の増生という明白かつ顕著な癌の再発の兆候を看過又は軽視し、一〇月一九日の試験切除に際して、右部位の試験切除を行わず、口腔底の組織のみを採取したのであるから、被告渡辺の右行為は、右注意義務に違反するものであり、このために癌再発の発見が遅延したものといわざるを得ない。

なお、〈証拠〉によると、病理検査のための試験切除は、治癒しつつある組織を挫滅したり、癌が存在した場合には癌細胞を拡散して転移の原因となるため、頻回ないし多数箇所からの試験切除は一般には好ましくないことが認められるが、本件においては、前記のように、癌の再発が強く疑われる状況にあったのであるから、このような場合には、当然前記のような試験切除を行うべきであったというべきである。

3  次に、第一回病理検査後の状況について検討するに、前記認定事実によれば、原告一郎は、この間、嚥下時の異物感、舌及び口腔底の疼痛、下顎の痛みを訴え、口腔底に腫脹が生じたほか、一一月下旬には舌左前方及び口腔底の硬結が拡大し、また、舌の原発部位付近の変色、変質(ぶよぶよとして、容易に脱落する状態)が進行したことが認められ、右事実によれば、原告一郎の症状は明らかに悪化していたものと認められる。

したがって、被告渡辺としては、この間癌の伏在を疑い、速やかに再度の病理検査を行うべき注意義務があったというべきである。しかるに、被告渡辺は、第一回の病理検査後約一か月半にわたり病理検査を行わなかったのであるから(〈証拠〉によれば、被告渡辺は、この間、さらに一回ないし二回の病理検査を行うべきであったことが認められる。)、被告渡辺は右注意義務に違反したものというべきである。なお、前記のように、頻回の試験切除は好ましくないことが認められるが、本件の場合は、前記と同様の理由により、被告渡辺の右過失責任を否定することはできない。

4 以上により、被告渡辺には、第二段階において、第一回目の病理検査の際、舌左前方又は左縁部から試験切除をしなかった過失及びその後速やかに再度の病理検査をしなかった過失があるというべきである。

四次に、原告らは、被告渡辺が第三段階において手術をしなかったことに過失があると主張するので(請求原因4(三))、この点について、検討する。

被告渡辺が一二月一〇日舌左前方部及び口腔底について、浸潤又は線維組織に囲まれた腫瘍を疑い、再発癌は後方には浸潤していないと推測したこと、被告渡辺がそれ以上に癌の広がりを検査することなく、右再発舌癌に対する根治療法として、初診時と同様にプレオマイシン局注療法を採用することとし、同月一三日、一六日、二〇日にプレオマイシンの局注を行ったことはいずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実及び〈証拠〉によれば、被告渡辺は、一二月六日に舌癌の再発を確認したが、右再発癌をプレオマイシン局注療法により根治することが可能であると判断し、根治療法として再度プレオマイシンの局注療法を採用したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、〈証拠〉によれば、再発癌を根治する治療法としては、手術(拡大切除)が救命率の高い唯一の方法とされており、このことは、昭和五一年当時の臨床医学上よく知られていたことであって、再発癌に対する治療法はこの点で新鮮癌に対する治療法と峻別されること、原告一郎の再発癌は、病理学的見地からいえば、深部に残存した癌が顕在化したものであることが認められ、また、原告一郎の癌の再発は、いったん消失したものがわずか四か月後に再発したものであること(このことは、当初のプレオマイシン局注療法が新鮮癌に対する根治療法としては不十分であったことを推測させる。)などにかんがみると、被告渡辺としては、癌の再発を確認した時点において、直ちに他の確実な治療法(手術)を行うべきであり、とりわけ初期の新鮮癌と異なり、癌の再発というより危険な局面においては、手遅れとならないように速やかに代替措置を講ずべき注意義務があったというべきである。

しかるに、被告渡辺は、原告一郎の舌癌が再発したことを確認したにもかかわらず、手術による根治療法を行わず、再びプレオマイシンの局注療法を採用したのであるから、被告渡辺の右行為は前記注意義務に違反したものというべきである。

なお、〈証拠〉によれば、頭頸部癌の再発例に対して、プレオマイシンの局注療法を採用し、特に限局した再発癌に対して効果をあげた旨の報告が公刊されていること、被告渡辺は、原告一郎の再発癌が比較的限局されたものであると考え、右報告例を参考としてプレオマイシンの局注療法を再開したことが認められるが、〈証拠〉によれば、右報告は、結論的には、プレオマイシン局注療法を根治目的で使用することについて否定的な評価をしており、また、右報告例は、いずれも既往において放射線治療を行ったが、それが成功しなかった症例に対して化学療法を試みたものであることが認められるところ、本件の場合は、既往においてプレオマイシン局注療法を行ったが、それが成功しなかった場合であるから、右報告例と本件の場合とを同視することはできず、右報告例があるからといって、プレオマイシン局注療法を採用したことを是認することはできない。

五次に、原告らは、原告一郎が被告渡辺の診療を受けなくなった後であっても、被告渡辺としては、原告一郎に対し適切な助言をして舌癌の拡大を防止すべき注意義務があったにもかかわらず、同被告は、これを怠ったと主張するので(請求原因4(四))、この点について判断する。

原告一郎が、一二月二〇日を最後に被告渡辺の診療を受けなくなったことは当事者間に争いがなく、右事実及び診療経過に関する前記認定の各事実並びに〈証拠〉によれば、原告一郎は、一二月二〇日ころ、舌の症状が悪化して治癒しないため被告渡辺に対し、「先生治るんでしょうか。」と尋ねたところ、被告渡辺は、確答することはできないと無愛想な返答をしたため、被告渡辺に対する信頼感を失い、以後、稲城市立病院及び立川病院において被告渡辺の診療を受けることを止めたこと、しかるに、被告渡辺は、その後の原告一郎の治療状況、病状の変化などについて原告一郎に問い合わせたり、助言をしたりせず、これを放置していたことが認められ、被告渡辺誠の供述中、右認定に反する部分を採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない(なお、被告らは、原告一郎は手術を避けたいために受診を放棄したものであると主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。)。

ところで、前掲各認定事実によれば、被告渡辺は、原告一郎の唯一の主治医として、初発癌の発生当初から癌再発に至るまで約七か月にわたってその治療に当たっていたものであり、しかも、その根治療法として未だ臨床上確立されていなかったプレオマイシンの局注療法を採用していたことが認められ、他方原告一郎の再発癌を放置すれば、その性質上重大な結果を招来することは明らかであるから、右事実にかんがみると、被告渡辺としては、原告一郎が被告渡辺の治療を受けることを止めた後においても、原告一郎が何故に受診を止めたのかをつきとめ、原告一郎が適切な治療を続けているかどうかを確認し、適切な助言をして、病状の悪化を防止すべき注意義務があったというべきである。しかるに、前記認定事実によれば、被告渡辺は、右確認及び助言を怠ったものであり、右注意義務に違反したことは明らかである。

六以上によれば、被告渡辺には、第二段階において適切な経過観察をしなかった過失、第三段階において再発舌癌に対して手術をしなかった過失、第四段階において受診に来なくなった原告一郎を放置した過失があり、原告一郎が被告渡辺の右過失行為(不法行為)により被った損害について損害賠償の責任のあることは明らかである。

なお、後記のとおり、原告睦子は、被告渡辺の右不法行為により、夫である原告一郎の死亡にも匹敵する精神的苦痛を受けたものと認められるので、被告渡辺は、民法七一一条の類推適用により原告睦子に対しても、右精神的苦痛について損害賠償の責任があるというべきである。

また前記一のとおり、被告連合会及び被告稲城市と原告一郎との間には、原告一郎の舌癌の治療を目的とする診療契約がそれぞれ成立しており、被告渡辺は立川病院及び稲城市立病院の勤務医として原告一郎の治療に当ったのであるから、被告連合会及び被告稲城市は、原告一郎に対し、診療契約上の債務不履行責任、原告両名に対し、被告渡辺の前記不法行為に基づく使用者責任を免れることはできない。

七そこで、原告らの損害額について検討する。

(一)  原告一郎の逸失利益

〈証拠〉によると、原告一郎は、昭和五二年四月八日、前記再発癌の治療のため、国立ガンセンターにおいて、舌、口腔底及び喉頭全摘、下顎骨三分の二切除などの手術を受け、その結果、言語、嚥下機能の全廃などの後遺障害を生じ、身体障害者等級一級の認定を受けたことが認められ、右事実によれば、原告一郎は、右手術の結果、労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められる。

ところで、原告らは、右後遺障害による労働能力の喪失は、すべて被告渡辺の過失行為によるものであると主張するので、この点について検討するに、前記したように、被告渡辺には、第一段階における過失を認めることができず、第二段階以降における過失が認められるものであるが、前記認定のような原告一郎の舌癌の部位、症状にかんがみると、被告渡辺が第二段階以降のしかるべき時期に適切に手術を行っていたとしても、なんらかの後遺障害が発生したことは避けられなかったものと考えられるので、原告らの主張する労働能力の喪失(一〇〇パーセント)がすべて被告渡辺の過失行為によるものと即断することはできない。

そこで、被告渡辺の過失行為が原告一郎の労働能力の喪失についてどの程度寄与したかについて検討するに、前記認定の原告一郎の症状の推移、〈証拠〉を総合すると、被告渡辺が、一〇月一九日の試験切除の際、舌左前方ないし左側縁部から適切に組織を採取していれば、その病理検査によって、一〇月下旬ころには癌の再発が確認され、その後直ちに放射線の術前照射などの外科手術の準備をなし、一一月ころには外科手術を行うことができたものと認められる。

そして、〈証拠〉によれば、右の場合の手術の内容としては、舌の半分以上、亜全摘に至らない程度の切除、下顎の半側切除であることが予想され、口腔再建手術(口腔機能を良くするための手術)を併用した場合の後遺障害は、軽度な言語障害及び咀嚼機能の障害であり、嚥下は可能であることが認められ、右後遺障害による労働能力の喪失率は七〇パーセント程度であると考えられる。

右のように、被告渡辺が一一月初旬ころに手術を行ったとしても、なお七〇パーセント程度の労働能力を喪失するほどの後遺障害があったものと認められるから、結局、被告渡辺の過失行為による労働能力の喪失率は三〇パーセントであったと認めるのが相当である。

そこで、右労働能力の喪失による原告一郎の逸失利益について検討するに、〈証拠〉によれば、原告一郎は、昭和七年一二月一四日生の男子であること、前記手術によって労働能力を喪失するまで、ビルの保守・管理などを行う会社を経営していたことが認められ、また、原告一郎は、昭和五二年以降も二三年間にわたり年間三四五万六六〇〇円(昭和五二年賃金センサス、第一巻、第一表中の産業計、企業規模計、学歴計の四四歳男子労働者平均賃金)の収入を得ることができたと認められる。そこで、右の金額を基礎として労働能力喪失率を三〇パーセントとし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して原告一郎の逸失利益を計算すると(年収三四五万六六〇〇円×労働能力喪失割合0.3×ライプニッツ係数13.489)、一三九八万七八二三円となる。

(二)  原告一郎の慰謝料

〈証拠〉によれば、原告一郎は、被告渡辺の過失により、言語、嚥下機能全廃などの後遺障害を受けたほか、一切の味覚、嗅覚を失い、終日よだれを垂れ流し、頻繁に痰を除去する必要があるため、外出はほとんど不可能となり、また、顎から喉付近にかけて著しい醜状が残ったことが認められ、その他これまでに認定した諸般の事情(被告の過失行為がなくとも、なお相当の後遺障害が残ったであろうとの事情を含む。)を総合すると、原告一郎が受けた精神的苦痛に対する慰謝料は五〇〇万円が相当であると認める。

(三)  原告睦子の慰謝料

原告睦子が原告一郎の妻であることは当事者間に争いがないところ、原告睦子は、前記右認定の原告一郎の障害について、原告一郎の死亡にも比肩しうる精神的苦痛を受けたものと認められ、これに対する慰謝料は、一〇〇万円が相当であると認める。

(四)  過失相殺について

前記六1認定のとおり、原告一郎は、一二月二〇日を最後に被告渡辺の受診を自ら放棄したのであるが、原告五十嵐一郎本人尋問の結果によると、原告一郎はその後昭和五二年三月一日に国立ガンセンターで受診するまで、丸山ワクチンによる治療を受けたことが認められ、このため手術が約二か月遅れ、このことが原告一郎の損害の拡大に寄与したものと推測することができる。

しかしながら、前記の認定事実によると、被告渡辺のそれまでの過失、特に再発癌に対して速やかに手術を行うべき注意義務を怠った過失及び原告一郎が一二月二〇日に治療の見通しを尋ねた際、被告渡辺が十分な説明を行わず、このことが原告一郎の被告渡辺に対する不信感をもたらし、それが原告一郎の受診放棄の一因となったことが認められ、また、前記認定のとおり、被告渡辺は、原告一郎が被告渡辺の診療を受けなくなった後でも、原告一郎に対し適切な助言をして病状の悪化を防止すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠ったものであり、このことが右損害拡大に寄与していることは明らかである。

以上のような被告渡辺の過失行為にかんがみると、原告一郎が被告渡辺の診療を受けることを放棄したからといって、過失相殺を認めることはできない。

(四)  弁護士費用

原告らが、本訴の提起及び追行を清水徹弁護士及び小谷恒雄弁護士に委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件事件の性質、事件の経過などを考慮し、弁護士費用支払時までの中間利息分を控除すると、被告らに賠償を求めうる弁護士費用は、原告一郎の関係で、一九〇万円、原告睦子の関係で一〇万円と認めるのが相当である。

八以上によれば、原告一郎の請求は、被告ら各自に対し、被告渡辺については不法行為、被告連合会及び被告稲城市については債務不履行又は使用者責任による損害賠償として二〇八八万七八二三円及びこれに対する被告稲城市及び被告渡辺は昭和五七年一一月二一日から、被告連合会は同月二三日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があり、その余は理由がなく、原告睦子の請求は、被告渡辺については不法行為、被告連合会及び被告稲城市については使用者責任による損害賠償として一一〇万円及びこれに対する右と同様の遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。

よって、原告らの本件請求を右理由のある限度で認容し(原告一郎の被告連合会及び被告稲城市に対する請求は、債務不履行による損害賠償請求を認容)、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高橋正 裁判官秋武憲一 裁判官宮坂昌利)

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